岐阜提灯の歴史

日本の提灯の起源は約900年前

提灯のことが示された考証で最も古い記録文と思われるものは、応徳2年(1085年)の『朝野郡載』です。のちの室町時代頃・天文5年(1536年)完成の『日蓮聖人註画讃(巻第五)』には、折りたたみができ、かご状でない提灯が描かれています。

人々の文化を物語る役割を担った提灯

提灯は、江戸時代以前は主に天皇家・貴族などの上層階級で使用されており、江戸時代中期以降にローソクが大量生産されるようになり庶民に普及しました。はじめは日常的な照明器具や、お盆などの宗教的儀式で使用されていましたが、様々な種類・用途へ展開されると、単なる道具としての域を脱し、人々の暮らし・制度・信仰・美術などを具現化する文化の担い手として欠くべからざる地位を築きました。

江戸時代から継承されつづける岐阜提灯

庶民に提灯が普及した江戸時代中期ごろ、岐阜でも提灯の製造がはじまりました。当時から美濃の良質な紙が使用され、尾張藩を通して幕府に献上されていました。そして1750年頃に岐阜提灯の基本形が完成し、1800年頃には白地色の提灯から草花の彩色画を施したものに流行が移り変わり、1850年頃には見栄えを重視した薄い紙と、細骨の骨組みが主流となり、現代の繊細で優美な岐阜提灯の形が出来上がりました。